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岡山地方裁判所倉敷支部 昭和52年(ワ)208号 判決 1982年2月04日

原告

末松萩子

ほか二名

被告

岡山県

主文

一  被告は、

1  原告末松萩子に対し、金一三八一万七二〇四円及び内金一三〇一万七二〇四円に対する昭和五一年六月二五日から

2  原告末松浩司、同末松雅子それぞれに対し、各金一一八一万七二〇四円及び内金一一〇一万七二〇四円に対する前同日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告らと被告との間に生じたものは被告の負担とし、原告らと補助参加人との間に生じたものは補助参加人の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、

(一) 原告末松萩子に対し、金二四九五万六六六一円及び内金二四一五万六六六一円に対する昭和五一年六月二五日から

(二) 原告末松浩司、同末松雅子それぞれに対し、各金二二四五万六六六一円及び内金二一六五万六六六一円に対する前同日から

各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言(1項に限り)

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告末松萩子の夫で、その余の原告らの父である亡末松傳(以下、亡傳という。)は、昭和五一年六月一七日午後九時三五分頃、原動機付自転車(以下、単車という。)を運転して夜間勤務のため川崎製鉄株式会社水島工場に出勤の途中、都市計画道路三田五軒屋海岸通線(県道)の水島南亀島町交差点内に進入した際、同交差点内でマンホール(以下、本件マンホールという。)のふたに乗り上げてバランスを崩し、ハンドル操作の自由を失つて逸走し、同マンホール南方約七〇メートルの倉敷市水島南亀島町一七番一五号神野啓子、同英明方前で転倒し、脳挫創等の傷害を負い、同月二四日、右受傷により死亡した。

2  責任原因

本件事故の発生した本件道路は、川崎製鉄水島工場等の工場地帯に直結する幅員三六メートル、六車線の交通ひんぱんな道路で、昭和五〇年末から同五一年四月にかけて下水道本管の埋設工事が行なわれたため、路面が荒れており、本件マンホールのふた(直径一・六メートル)は路面から約一五センチメートル垂直に突出ていて、本件事故以前にも同マンホールのふたに何回か自動車が乗り上げるなど、極めて危険な状態であつた。

被告は、本件道路の管理者として、道路の安全を管理すべきであるのに、右のような道路の瑕疵を放置し、これによつて本件事故が発生したものであるから、被告は国家賠償法二条一項の規定に基づき、原告らの蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

3  損害

(一) 入院中諸雑費 金四二〇〇円

七日間入院 一日金六〇〇円相当。

(二) 付添看護料 金一万七五〇〇円

原告末松萩子が七日間付添、一日金二五〇〇円相当。

(三) 葬儀費用 金四〇万円

(四) 亡傳の逸失利益 金六七四六万六四一〇円

(1) 停年時までに取得しえた賃金 金六六二〇万九〇〇五円(計算根拠は、算式は別紙逸失利益計算表A―以下、別表Aという。―(一)記載のとおり。)

(2) 退職金 金六六九万〇〇五五円(計算根拠、算式は別表A(二)記載のとおり)

(3) 停年後満六七歳までに取得しえた収入 金二三四八万一五二七円(計算根拠、算式は別表A(三)記載のとおり)

右(1)ないし(3)の合計金九六三八万〇五八七円に対し三〇パーセントの生活費を損益相殺すると、亡傳の逸失利益は金六七四六万六四一〇円となる。

(五) 慰藉料 金一〇〇〇万円

原告らは一家の主柱を失ない、精神的、物質的に悲惨な打撃を受けた。とりわけ原告末松萩子は中学生と小学生の子供をかかえ、父親と母親の二役を兼ねて自活していかなければならない。これらの精神的損害は金銭で償えるものではないが、あえて見積るならば、原告末松萩子につき金五〇〇万円、同浩司、同雅子につき各金二五〇万円を相当とする。

(六) 損害の填補

原告らは、亡傳の死亡により、労災年金七六〇万九五五八円、厚生年金三三一万九六六三円、合計金一〇九二万九二二一円の支給を受けたので、原告らは(一)の損害から右支給額を差引く。

(七) 弁護士費用 金二四〇万円

原告らの本件損害賠償請求訴訟の提起に要した弁護士費用として、金二四〇万円を損害として請求する。

(八) 原告ら各自の損害は、慰藉料を除いて各三分の一である。

4  結論

よつて、被告に対し、原告末松萩子は金二四九五万六六六一円及びそのうち弁護士費用を除いた内金二四一五万六六六一円に対する亡傳死亡の翌日である昭和五一年六月二五日から、原告末松浩司、同末松雅子はそれぞれ各金二二四五万六六六一円及びそのうち弁護士費用を除いた内金二一六五万六六六一円に対する前同日から、各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1項のうち、亡傳と原告らとの間に原告ら主張の身分関係があること、及び亡傳が原告ら主張の日時に単車を運転して夜間勤務のため川崎製鉄株式会社水島工場に出勤の途中、原告ら主張の神野方前で転倒し、負傷して、原告ら主張の日に死亡したことは認めるが、その余の事実は争う。

2  同2項のうち、本件道路が幅員三六メートル、六車線の道路であることは認め、その余の点は争う。

3  同3項のうち、(六)の原告らがその主張の労災年金、厚生年金の支給を受けたことは認め、その余は全て不知。

三  被告及び補助参加人の主張

1  本件マンホール周辺の道路状況

本件事故当時、本件マンホールのふたに対する周辺の路面の沈下状況は、本件マンホールの北東方向(亡傳の進路手前)二メートルの地点で九センチメートル程度路面が沈下している箇所が最高であつて、その他の箇所はいずれもそれより路面の沈下は少ない状況であつた。しかも本件マンホールのふたが周辺の道路より浮き上がつているといつても、それは最高九センチメートルほど垂直の断面をもつて浮き上がつていたものではない。当時、本件マンホールの周辺には幅約六〇センチメートルの円形状にアスフアルトですりつけ舗装がなされており、路面は本件マンホールを中心にゆるく波を打つたような状況を呈していて、道路が通常備えるべき安全性に欠けるところはなかつた。従つて、道路の設置又は管理に瑕疵はない。

2  因果関係

亡傳の転倒地点は、本件マンホールを通り過ぎて南へ少なくとも約六三メートル以上進行した地点であるが、仮に亡傳が単車で本件マンホールの上を通過した際衝撃を受け不安定な状態になつたとしても、約六三メートルも進行して転倒するなどということは考えられないから、本件マンホールと本件事故との間には因果関係を認めることはできない。亡傳は、単車を運転して走行中、転倒地点付近で犬に衝突したか或いは犬と衝突するのを避けようとして、転倒したものではないかと思われる。

3  過失相殺(抗弁)

亡傳は、毎日通勤の往復に本件マンホール付近を単車で通行していたものであるから、本件マンホール周辺の路面の状況は十分知つていたはずであり、同人には本件マンホールを避けて通行するか、或いはマンホール上を通行するにしてもその際に受ける衝撃により安定を失わないよう、また仮に不安定な状態になつたとしても、すぐに安定をとり戻して転倒するまでには至らないよう、留意して走行すべき注意義務があつた。従つて、仮に本件事故が本件マンホールに起因するとしても、亡傳には右注意義務を怠つた過失があり、その程度は重大であるから、相当の過失相殺がなされるべきである。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

1  亡傳が昭和五一年六月一七日午後九時三五分ころ、単車を運転して夜間勤務のため川鉄水島工場に出勤の途中、倉敷市水島南亀島町一七番一五号神野方前で転倒して負傷し、同月二四日死亡したことは、当事者間に争いがない。

2  証人神野英明、同山下彰雄の各証言及び原告末松萩子本人尋問の結果によれば、亡傳は、右事故直後自宅にいる妻の原告萩子に対し本件マンホールのふたに乗り上げて転倒した旨電話で知らせ、治療にあたつた医師らにもその旨の事故説明をしたこと、神野英明は右事故直後本件現場にかけつけて亡傳を助け起こしたが、その際、周囲の状況等からして、亡傳は本件マンホールに乗り上げたのが原因で転倒したものと感じたこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

3  本件事故当時、本件マンホール周辺の路面が沈下し、本件マンホールのふたが周辺道路より浮き上がつていたことについては、それが垂直の断面をもつて浮き上がつていたか否かは別として、当事者間に争いがない。

そこで、本件マンホールのふたが路面より浮き上がるに至つた経緯、本件事故時のその形状・態様等について検討するに、右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、第四号証の二、三、七、八 乙第二、三、六号証、丙第一ないし第四号証、第九号証、前記原告萩子本人の供述、証人神野英明、同神野啓子、同是永輝雄、同片山富平、同重見三朗、同豊島洋一(但し、後者三名については後記信用しない部分を除く)を総合すると、本件道路については、倉敷市(補助参加人)が被告の許可を得て昭和五〇年七月から下水管きよ埋設工事を行い、同年一二月二四日、本件マンホール付近の工事が完成したが、地盤沈下があるため、本件マンホール付近の道路は地盤沈下の落ちつくまで本舗装しないことになり、仮舗装のまま放置されていたこと、そのため地盤沈下が進んで本件マンホールのふたが浮き上がり、昭和五〇年一〇月半ば頃以降、単車や乗用車が本件マンホールに乗り上げたのが原因で滑走したと思われる事故が二度あつたこと、是永輝雄は、本件事故の前日か前々日、乗用車で本件道路を進行中、左前輪を本件マンホールに乗り上げてハンドルをとられ、滑走して危うく横転しかけたので、降車して本件マンホールを見たところ、マンホールの上部の筒が路面から約一〇センチメートルほど凸状に突き出ていたこと、本件事故直後、神野英明、同啓子、原告萩子らが本件マンホールを見たところ、本件マンホールは路面からほぼ垂直に約一〇ないし一五センチメートル程度突き出ており、横からみると埋設してあるマンホールの管そのものが見える状態であつたこと、本件事故が発生した日の翌日、急遽本件マンホール周辺に鉢巻状のアスフアルトのすりつけ舗装が施され、路面からマンホールのふちまでは斜面になつたが、それでもなお本件マンホールのふたの上部からアスフアルトのすりつけ下部に接した路面の一番低い部分までを垂直に測ると、約一二ないし一三センチメートルはあつたこと、そして、同月二一日、本件マンホール周辺は一日の工事で完全に平らに舗装されたこと、以上の事実を認めることができ、証人片山富平、同可児美之、同重見三朗、同豊島洋一の証言中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、本件事故当時、本件マンホールのふたは路面からほぼ垂直に少なくとも一〇センチメートル程度突き出ており、横から見ると埋設してあるマンホールの管そのものが見える状態であつたことが認められる。

4  以上1ないし3で認定した各事実を総合すると、亡傳は単車で走行中本件マンホールふたに乗り上げて衝撃をうけ、ハンドルをとられてバランスを崩し、滑走した挙句、路上に転倒して負傷し、死亡するに至つたものと認めることができる。尤も、検証の結果によれば、本件マンホールと亡傳の転倒地点との間には六〇メートル前後の距離があるが、単車がハンドルをとられて滑走し、通常の制動距離以上に進行してその挙句転倒することはよくみられることである。また、被告主張の犬の存在をうかがわせるに足りる証拠もない。

右認定事実によれば、亡傳にも後記のとおり過失があるとはいえ、本件マンホールが本件事故発生の一因となつたことが明らかである。

二  道路管理の瑕疵

前項認定の事実関係に徴すると、本件マンホールの路面からの浮き上がりは、単車が強い衝撃を受ける程の高低差のあつたものであるから、放置されてよい程軽微な損傷ではないと認められる(しかも、その補修が容易であつた。)。してみれば、本件マンホールの浮き上がりは道路の安全性を欠くものとして、被告の道路管理の瑕疵に当ると認めるのが相当である。

従つて、被告は原告らに対し、本件事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。

三  損害について

1  入院中諸雑費 金四二〇〇円

前記原告萩子本人の供述によれば、亡傳は七日間入院したことが認められ、その間の諸雑費は一日につき金六〇〇円が相当である。

2  付添看護料 金一万七五〇〇円

右供述によれば原告萩子が七日間付添つたことが認められ、その間の看護料は一日につき金二五〇〇円が相当である。

3  葬儀費用 金四〇万円

右供述によれば、葬儀費用は約九〇万円かかつたことが認められるところ、うち金四〇万円が社会通念上相当な範囲内の出費であると思われる。

4  亡傳の逸失利益 総計 金四七〇五万四三四二円

(一)  停年時までに取得しえた賃金 金三五四九万八六五二円

右原告萩子の供述、証人黒川崇利、同山下彰雄の各証言、右黒川証言に成立に争いのない乙第四号証より真正に成立したと認める甲第五号証の二並びに弁論の全趣旨を総合すると、亡傳は昭和一二年一月一四日生で、昭和四五年に川崎製鉄に入社し、以来同社で勤務していたもので、昭和六八年に満五六歳で停年になるはずであつたこと、同人の昭和五〇年分給与所得は金二五六万七五七九円であること、五一年分については生前金一三八万〇〇〇八円の給与支払を受けていること、川崎製鉄の社員の平均昇給率は定期昇給とべースアツプをあわせて昭和五一年度、五二年度各八・五パーセント、五三年度四・二パーセント、五四年度五・〇パーセント、五五年度六・一五パーセント、五六年度七・〇一パーセントであることが認められ、昭和五七年度以降については、経済の低成長時代の今日ベースアツプ率の予測は困難であるため、定期昇給のみを加算することとするに、定期昇給の平均昇給率は年平均二パーセントと認められる。そこで、別紙逸失利益計算表B―以下別表Bという―(一)の表記載のとおりの収入を得られるはずであるところ、生活費は右収入の三割、中間利息はホフマン式により控除すると、本件事故当時における現価は、右(一)記載のとおり金三五四九万八六五二円となる。

(二)  退職金 金三一七万四九〇八円

右認定の事実に、証人黒川崇利、同山下彰雄の各証言、山下証言により真正に成立したと認められる甲第一二号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、亡傳は昭和六八年に満五六歳で停年退職することになり、その勤務期間は二三年となるところ、川崎製鉄では、退職金基礎本給に支給率を乗じたものが退職金で、右基礎本給は、退職時本給から金一一万四一五〇円を減じたものに〇・五を乗じ、これに金一一万四一五〇円を加算して算出された額であること、亡傳の支給率は五〇・三七であること、亡傳の死亡時の本給は金七万四〇六〇円であつたこと、亡傳は退職金のうち既に死亡により金三〇万三六四六円を支給されていることが認められる。そこで差引現在額をホフマン式で計算すると、別表B(二)記載のとおり金三一七万四九〇八円となる。

(三)  停年後満六七歳までに取得しえた収入 金八三八万〇七八二円

亡傳は、右退職後も満六七歳までは少なくとも一般労働に従事し、停年時の年間給与所得の五〇パーセントの収入を得ることができたであろうことは統計上予想される。そこで、生活費は右収入の三割、中間利息はホフマン式により控除すると、本件事故当時における現価は、別表B(三)記載のとおり金八三八万〇七八二円となる。

5  亡傳の運転上の過失について

前記原告萩子の供述によれば、亡傳は通勤の往復に本件マンホール付近を単車で通行していたものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。とすると、亡傳は本件マンホール周辺の路面の状況を十分認識していたはずであるから、本件事故現場を通過するに際しては、本件マンホールを避けて通行するか、或いは通行するにしてもその際に受ける衝撃により安定を失わないよう減速徐行するなどの周到な措置を講じるべきであつて、亡傳にも道路状況に応じて適切な方法で運転すべき注意義務を怠つた重大な過失があつたというほかない。従つて、右過失は損害賠償額を算定するに当り斟酌することとし、その割合は二割とするのが相当である。

そうすると、前記1の入院中諸雑費は金三三六〇円、2の付添看護料は金一万四〇〇〇円、3の葬儀費用は金三二万円、4の亡傳の逸失利益は金三七六四万三四七三円となる。

6  相続等

原告萩子が亡傳の妻、その余の原告らが亡傳の子であることは当事者間に争いがないから、原告らは右4の亡傳の逸失利益について各自三分の一宛相続したこととなる。また、弁諭の全趣旨によれば、原告らは前記1ないし3の諸費用についても各自三分の一宛請求するものであることが認められる。従つて、原告らは右1ないし4の損害について各自金一二六六万〇二七七円の損害賠償請求権を有することとなる。

7  損害の填補

請求原因3の(六)記載の各金員の支給を原告らが受けたことは、当事者間に争いがない。従つて、右各金員を原告らの損害賠償請求債権の弁済に充当すると、原告らの右債権残額は各自金九〇一万七二〇四円となる。

8  慰藉料

一家の支柱ともいうべき亡傳が本件事故によつて死亡し、原告らが多大な精神的苦痛を蒙つたであろうことは前記原告萩子の供述により十分看取されるが、本件事故の態様その他諸般の事情を総合して勘案すると、その慰藉料額は原告萩子について金四〇〇万円、その余の原告ら各自についてそれぞれ金二〇〇万円と定めるのが相当である。

9  弁護士費用

本件事故の態様、過失割合、本件事件の難易、認容額等本訴に現われた事情を考慮すると、弁護士費用として賠償を求めうる金額は原告ら主張の金二四〇万円を下らないものと認める。従つて、原告ら各自は被告に対し弁護士費用としてそれぞれ金八〇万円を請求することができる。

10  そうすると、被告は、本件事故による損害賠償として、原告萩子に対し金一三八一万七二〇四円と、内弁護士費用金八〇万円を控除した金一三〇一万七二〇四円に対する亡傳死亡の翌日である昭和五一年六月二五日から、その余の原告らそれぞれに対し、各金一一八一万七二〇四円と、右金八〇万円を控除した金一一〇一万七二〇四円に対する前同日から各支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

四  結論

よつて、原告らの本訴請求は右認定の限度において理由があるので正当として認容し、その余は理由がないので失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九四条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する(仮執行免脱宣言の申立は、相当でないからこれを却下する。)。

(裁判官 生熊正子)

逸失利益計算表A

(一) 停年時までに取得しえた賃金 金66,209,005円

本件事故当時の勤務先 川崎製鉄

昭和50年分給与所得 金2,567,579円

停年 満56歳(昭和68年)

生年月日 昭和12年1月14日

死亡 同51年6月24日(満39歳)

昇給率 昭和53年以降毎年7%とする

〔川崎製鉄の会社員の実際の平均昇給率

昭和50年 14.9%

51年 8.5%

52年 8.5%〕

<省略>

(二) 退職金 金6,690,055円

死亡時現在の本給 金74,060円

停年時の本給 金250,174円

〔算式 停年時(昭和68年)まで毎年7%の上昇率で計算

74,060×1.0717=250,174

退職金支給率(勤続23年) 50.37

〔算式 停年時本給×退職金支給率×ホフマン係数(16年後)

250,174×50.37×0.555=6,993,701

既に支給された退職金 金303,646円

〔損益相殺

6,993,701-303,646=6,690,055

(三) 停年後満67歳までに取得しえた収入 金23,481,527円

停年時の年間給与所得 金8,923,250円

停年後は上記の50%とする 金4,461,625円

就労可能年数 昭和79年まで

<省略>

逸失利益計算表B

(一) 停年時までに取得しえた賃金

<省略>

亡傳の停年時までに取得しえた賃金の本件事故当時における現価

50,712,361×0.7=35,498,652(円)

(二) 退職金

退職時本給 金134,712円

死亡時の本給 金74,060円

昭和51年度の本給 74,060×1.085=80,355

〃52〃 80,355×1.085=87,185

〃53〃 87,185×1.042=90,846

〃54〃 90,846×1.05=95,388

〃55〃 95,388×1.0615=101,254

〃56〃 101,254×1.0701=108,351

(昇給率)

昭和57年度以降の昇給率は毎年2%であるので

停年時(昭和68年)の本給は、金134,715円となる

算式 108,351×1.0211=134,715(円)

退職金基礎本給=114,150+(134,715-114,150)×0.5=124,432(円)

退職金の本件事故当時における現価=(124,432×50.37(退職金支給率)×0.555(16年後のホフマン係数))-303,646(既に支給された退職金)=3,174,908(円)

(三) 停年後満67歳までに取得しえた収入

停年時の年間給与所得 金4,764,151円

停年後の〃 金2,382,075円

就労可能年数 昭和79年まで11年間

算式 2,382,075×(17.6293(29年のホフマン係数)-12.6032(18年のホフマン係数))×0.7=8,380,782(円)

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